大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成4年(行コ)48号 判決

控訴人(原告) 中村義彦 外一〇一〇名

被控訴人(被告) 国

訴訟代理人 白石研二 阿多麻子 竹中博司 中川猪三男 ほか五名

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  控訴人らの請求のうち、国費支出禁止請求及び違憲確認請求を大阪地方裁判所に差し戻す。

3  被控訴人は、控訴人ら各自に対し、それぞれ金一万円宛及びこれに対する訴状送達の翌日(控訴人らのうち、原審平成二年(行ウ)第八一号事件原告については平成二年一〇月四日、同年(行ウ)第九四号事件原告については同年一一月二〇日、同年(行ウ)第九七号事件原告については同年一一月二八日)から支払済みまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨

第二当事者の主張

当事者の主張は、控訴人の当審における主張を踏まえて請求原因事実の一部を一のとおり補充整理し、本件国費支出禁止請求及び違憲確認請求が適法であることに関する控訴人の主張を二のとおり付加する外は、原判決事実摘示のとおりである(但し、原判決一五枚目表一二行目の「主基殿」を「悠紀殿」と改め、同五四枚目裏七行目冒頭から同末行末尾までを削除する)から、これを引用する。

なお、本件諸儀式・行事を国費で執行したことを「本件行為」ということがある。

一  請求原因事実の補充整理

1  即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事を国費で執行したことの評価

(一) はじめに

皇室典範は、皇位の継承があったときに即位の礼が行われることを定めている(二四条)が、被控訴人がこれをどのように行うべきかに関する規定はいかなる法規にも存在しない。大嘗祭については、これを行うかどうかを含め、現行法上なんらの規定も存しない。被控訴人は、即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事を原則的に旧登極令に則って執行した。

即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事のうち、とりわけ宗教色の強いのが、本件諸儀式・行事である。

(二) 大嘗祭の評価

大嘗祭は、戦前においては、天皇が神になる儀式であると理解されていた。これに対し、政府は、本件大嘗祭について、「稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が、即位の後初めて大嘗の宮において新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、自らもお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穰などを祈念される儀式である。」との公式見解を発表した。

右政府見解によっても、天皇が天神地祇や皇祖神といった超自然的存在と交流できる存在であり、その交流によって日本国及び日本国民の繁栄があるという日本国と日本国民の成り立ちに関する宗教的観念、神話的イデオロギーが読み取れる。

大嘗祭は、宗教的象徴行為であるため、これが公的性格の儀式として挙行されること自体によって、国民の精神領域に右宗教的観念ないし神話的イデオロギーを流布、伝達する効果を生ぜしめた。

(三) 即位の礼の評価

即位の礼の性格も、次の事実に則して判断すれば、大嘗祭のそれとほぼ同様であるということができる。

(1) 天孫降臨を模したとされる高御座を設け、三種の神器を供える等、天皇が神の子孫であり、神話的権威を有する存在であることを儀式の骨格にしている。

(2) 天皇は、出席者に対して終始極めて高い位置にあり、三権の長に向き合い、その万歳三唱を受ける等、憲法の規定する天皇の地位を超えた主従関係がみられる。

(3) 旧憲法下の登極令そのままに、宗教性が明白な大嘗祭の諸儀式・行事と一連の日程で挙行され、会場の設備、天皇等の衣装において、伝統を強調するなどしている。

(四) 即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事を国費によって執行したことの持つ意味

即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事は、前記のように、日本国の成立、存続、体制について神話的な説明、再現を行い、天皇の行う神道儀式を媒介とした国民と超越的存在との結びつけを意味するものであり、被控訴人がこれを国家行事として執行したことは、右宗教的観念の承継を皇室内部に止めず、日本国民全体に流布、伝達したものと評価すべきである。

これを国民の側から観察すれば、被控訴人によって、特定の宗教的観念ないし神話的イデオロギーを押しつけられたことに帰する。また、三権の長が即位の礼や大嘗宮の儀等へ公人として参列したことは、全国民の奉賛帰順という象徴的意味をになっている。

こうして、控訴人らは、一方的且つ圧倒的な力で特定の宗教観念ないし神話的イデオロギーを押しつけられ、精神的苦痛を被った。

(五) マスコミの利用

被控訴人は、大嘗祭を、皇位が世襲であることに伴う一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承諸儀式、行事と位置づけ、これが正当に継承尊重されるべきものであることを明言し、その方針に則り、即位の礼当日の休日化、国家機関の各部門での奉祝体制等の措置をとった。また右諸儀式・行事に関しては大々的な報道がなされた。その結果、国中に奉祝気分が行き渡り、天皇の地位が憲法と国民の意思を超えた神秘的な伝統に立脚するとの考えが広められた。被控訴人は、マスコミによるこの効果を予想したのみならず、これを積極的に利用さえした。

(六) 以上のように、即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事の国費による執行は、被控訴人が特定の宗教的観念ないし神話的イデオロギーを採用して日本国及び日本国民の存在を超越的に基礎づけ、そのような観念の受容を控訴人らを含む国民に押しつける効果を有した。そして被控訴人は、国民がこれを受け入れて賛同奉祝することを行政組織を用いて求め、あるいはマスコミを通じて煽ったのであって、これはまさしく、国教の樹立、宣布と評価されるべきものである。

2  本件諸儀式・行事を国費で執行したことの違憲性

即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事は、万世一系の現人神天皇の即位と統治を宣明する皇室神道行事であり、その服属儀礼的性格及び宗教色は明白である。

また、天皇が即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事を旧憲法時代における神権天皇制における即位儀式と同じやり方で神道形式に基づいて行ったことは、象徴天皇の法的地位と矛盾する。

したがって、このような即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事、その中でもとりわけ宗教色の濃い本件諸儀式・行事を国事行為あるいは公的性格を有する皇室行事として行い、これに国費を支出したことは、日本国憲法の根本原理たる国民主権原理(前文、一条)及び政教分離原則(二〇条三項、八九条前段)に明白に違反している。

3  控訴人らの権利侵害ないし本件行為の控訴人らに対する関係での違法性

(一) 即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事の国費執行による布教活動の具体的態様

前記のとおり、即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事を国費で執行したことは、国教の樹立、宣布と評価されるべきものであるが、その宣伝、布教の具体的方法、内容、効果としては、次のことに着目されるべきである。

(1) マスコミを意識的に利用した布教活動

即位の礼及び大嘗祭の諸儀式・行事は、一部を除いて公開され、大々的に報道された。その報道は、政府(宮内庁)の完全な統制の下に行われ、報道機関の自由な取材は許されなかった。報道機関は、政府から許可されあるいは指示された儀式の場面と内容だけを国民に報道した。テレビカメラで撮影する報道機関は指名され、公開に適した写真は宮内庁が選択し、提供した。国民は政府の意向に沿う報道に一方的にさらされた。

(2) 布教された教義の内容

天皇は、即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事の中で、繰り返し、天神地祇、歴代の天皇霊及び天照大神を祀り、これらの神々と交流し、一体化する。中でも天照大神は、天上からこの地上に皇室の祖先を遣わした神として登場する。したがって、即位の礼及び大嘗祭仕儀の中には、天皇がこれらの神々を祀る祭り主であると同時に、自ら天照大神の子孫として、その神から託された神の国において現人神になるとの宗教観念が表現されているというべきである。

(3) 神社神道の援助、助長、促進の効果

国の方針に鼓舞された神社本庁は、神社神道の地位向上の好機到来とばかり、即位の礼の前年から神社界を挙げて御大典奉祝中央パレードの参加申込の募集を始め、即位の礼及び大嘗祭奉祝運動を全国的に展開した。その一環として、各都道府県の神社庁を通じて傘下の全国の神社に対して祝詞例文を添えた通達を下し、即位の礼当日には中祭式で、大嘗祭当日には大祭式で、氏子・崇敬者ともども祭典を執行すること、大嘗祭の二日前の一一月二〇日には大祓を斎行することを指示した。即位の礼及び大嘗祭の国費執行は、このように、神社本庁傘下の全国の神社及びその氏子・崇敬者の信仰を援助、助長、促進した。

そして、即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事の国費執行を通じての神社神道に対するこのような強力な支援は、他の宗教各派にとって、あるいは神社神道や天皇崇拝と相容れない思想を持った国民にとって、不気味な圧迫と干渉になった。

(4) 政府による奉祝強制

平成二年一月八日、内閣は「即位の礼実施大綱」を決め、その中で、祝意奉表について、「即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする立法措置を講ずるほか、同日の祝意奉表については、別に定める」とし、国民こぞって祝意を表させるための具体的措置をとることを定めた。

そして、政府は、「即位礼正殿の儀の行われる日を休日にする法律」を国会に提案し、同年五月二五日に成立させた。更に、同年一〇月一九日の閣議で、儀式の細目とともに祝意奉表の具体的方法について決定した。これによれば、祝意奉表は日の丸の掲揚によることとし、〈1〉各省庁に対しては日の丸掲揚を義務づけ、〈2〉地方公共団体に対しては日の丸掲揚を要望し、〈3〉それ以外の公署、学校、会社その他一般に対しても日の丸掲揚を要望することとした。内閣はこれを各省庁に通知し、更に各省庁から関係機関に通知させることで、国民こぞっての祝意奉表となるようその徹底を図った。

これを受け、例えば文部省では、右閣議決定の当日事務次官通知を発し、各国公私立大学、都道府県教育委員会等に対し、閣議決定に沿った祝意奉表を求めるとともに、都道府県教育委員会に対しては管下の教育委員会への周知徹底を図るよう指示した。更に文部省では、右通知に重ねて、わざわざ同日付の初等中等教育局長通知を発し、各都道府県教育委員会、知事等に対し、「国民こぞって祝意を表することの意義を児童生徒に理解させるよう」指導を求めるとともに、都道府県教育委員会に対しては、とくに管下の教育委員会に対して周知徹底を図るよう要請した。

これを受けて、各都道府県教育委員会は、直接あるいは管下の各市町村教育委員会を通じて各学校長に対し、「祝意を表し学校に国旗を掲揚すること」及び「国民こぞって祝意を表することの意義を児童生徒及び職員に理解させること」を義務づけた。そして、この命令の徹底を図るために、祝意奉表の実施状況を学校長に報告させたのである。

その結果、大部分の学校現場においては、学校長が教職員や保護者、生徒の反対があってもこれを押し切って日の丸を掲揚し、学校としての祝意を表現した。

(二) 控訴人らが受けた信教の自由、思想・良心の自由の侵害

控訴人らは、即位の礼及び大嘗祭が公的行事として位置づけられ、これが国費で執行されたこと、即ち、全国民を対象とした皇室神道の布教活動がなされたことによって、自らもその布教活動にさらされ、自己の思想・良心・信仰の中核と根本的に相容れない宗教教義を「日本国民であれば誰でも受け入れるべきもの」として押しつけられる圧迫感、被干渉感ないし苦痛を感じるとともに、隣人に対し、あるいは一般国民に対し、自己の信じる宗教を布教したり、または自己の思想を率直に発表することに多大の困難と逡巡を感じざるを得なくさせられた。これらの一部について具体例を挙げると次のとおりである。

(1) 控訴人らの中には、菅原龍憲等多数の浄土真宗門徒がいる。真宗門徒にとって、神祇不拝(阿弥陀仏以外のいかなる神、霊の存在を信じず、拝まない)はその信仰の中核である。真宗門徒である控訴人らは、ほぼ一年間にわたり、即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事の報道にさらされることによって、自己の信仰と相容れない宗教が公的に認められたものとして布教宣伝された圧迫感を感じた。更に、これに自己が納めた税金を使用されたことにより、自己の信仰と全く相容れない宗教儀式の執行に加担させられた不快感を感じた。

(2) 控訴人らの中には、平良仁志等多数のキリスト教信者がいる。キリスト教信者にとって、モーゼの十戒は信仰の核心であるが、その一戒に「汝、我のほか何者をも神とすべからず」とある。即位の礼及び大嘗祭諸儀式・行事の国費執行は、キリスト教信者である控訴人らにとって、国家自身による自己の信仰と矛盾する宗教の布教活動として、不気味な圧迫感をもたらすとともに、信仰内容に対する干渉となった。

(3) 控訴人田中律子は、大阪府立高校で実習助手として勤務するものであるが、右高校では、即位の礼当日、学校長が職員会議の決定に違反し且つ多数の教職員及び生徒の反対を押し切って日の丸掲揚を強行した。同控訴人は、即位の礼及び大嘗祭は本来不要な服属儀礼的、宗教的儀式であって政府がこれに手を貸してはならないものだと信じており、ましてこれに合わせて祝意を表することを強制されることは絶対に承服できないし、祝意を表したと一律に評価されることに耐えられない。

(三) 憲法における政教分離規定(二〇条一項後段、三項、八九条前段)及び信教の自由の解釈

(1) 日本国憲法の政教分離規定は、明治維新以降国家と神道とが密接に結びつき、国民の信教の自由のみならず、思想、良心の自由が大きく侵害される等の深刻な弊害を生じたことから、国家と宗教との絶縁をはかるために設けられたものであって、その任務は、思想・良心及び信教の自由を国家の政教癒着的行為による侵害から守ることにある。

(2) そうすると、憲法における政教分離規定及び信教の自由は、次のように解釈されるべきである。

ア (人権規定説――その一)

政教分離規定は、狭義の信教の自由(二〇条一項)の保障に付加して、これとは別個に、国民一人一人に対し、国家によって宗教教育その他の宗教的活動をされない自由(二〇条三項)、国家によって自己の支払った租税が宗教上の組織もしくは団体に支払われない自由(八九条前段)、いかなる宗教団体にも国から特権を与えられることがなく、いかなる宗教団体からも政治的権力を行使されない自由(二〇条一項後段)を保障した独自の人権規定である。

イ (人権規定説――その二)

仮にそうでないとしても、政教分離規定は、二〇条一項前段の信教の自由の一内容を規定した人権規定である。即ち、信教の自由の保障は、直接的な強制や弾圧を排除するだけでなく、政教融合による間接的な圧迫をも排除していると解釈するのである。

ウ (制度的保障――憲法上の推定説)

仮に政教分離規定が人権保障規定ではなく制度的保障規定であるとしても、政教分離規定は、政教分離を制度として保障することを通じて思想・良心及び信教の自由の保障を強化、補強するためのものであるから、同規定に違反する国家の行為は、特段の事情のない限り、特定の思想、宗教ないし宗教一般に対する援助、助長、促進あるいは圧迫、干渉になり、国民の思想、良心及び信教の自由の侵害となることが推定されるべきであって、政教分離規定は、右の趣旨の憲法上の推定規定と解すべきである。

したがって、控訴人らが、被控訴人の行為が政教分離規定に違反すること及びその行為によって控訴人らが思想・良心ないし信仰生活上の圧迫、干渉あるいは苦痛を感じたことを主張、立証しさえすれば、右政教分離違反行為による思想・良心及び信教の自由の侵害があったことが憲法上推定され、政教分離規定違反行為にもかかわらず思想・良心及び信教の自由が侵害されていないとする特段の事情の存在を被控訴人において主張、立証しないかぎり控訴人らの思想・良心及び信教の自由の侵害が認定されなければならないのである。

エ (信教の自由の解釈論)

政教分離規定の解釈をひとまず置いても、国の行為が国民の信教の自由の侵害として違法性を帯びるのは、宗教上の行為の強制(憲法二〇条二項)や信教を理由とする不利益取扱に限られるものではなく、信教の自由が傷つきやすいデリケートな性質のものであることに鑑みると、圧迫干渉という間接的事実的侵害であっても、信教の自由の侵害になると解すべきである。

(四) 控訴人らの権利侵害ないし本件行為の違法性

以上の考察の結果、次のようにいうことができる。

(1) (三)の(2)のア説に立つ場合には、控訴人らは、被控訴人の本件行為により、国家によって宗教教育その他の宗教的活動をされない自由(二〇条三項)、国家によって自己の支払った租税が宗教上の組織もしくは団体に支払われない自由(八九条前段)、いかなる宗教団体にも特権を与えられ政治的権力を行使されない自由(二〇条一項後段)を侵害された。

(2) (三)の(2)のイ説に立つ場合には、控訴人らは、被控訴人の本件行為により、信教の自由の一つとしての、信仰に対して政教融合による間接的な制限、圧迫及び干渉を受けない権利を侵害された。

(3) (三)の(2)のウ説に立つ場合には、控訴人らは、被控訴人の本件行為により、思想・良心及び信教の自由が侵害された。被控訴人の政教分離規定違反行為にもかかわらず控訴人らの思想・良心及び信教の自由が侵害されていないとする特段の事情の存在については主張、立証がない。

(4) (三)の(2)のエ説に立つ場合には、控訴人らは、被控訴人の本件行為により、信教の自由を侵害された。即ち、被控訴人の本件行為によって作り出された社会状況は、控訴人らに奉祝気分に同調するか否か、換言すれば、政府の唱える天皇教ともいうべき観念に同調するか否か、それとも多大な緊張感を伴いつつこれと異なる自己の信念を表明、実践するか、あるいは自己の信念の表明、実践そのものを自粛するかの態度選択を迫るもので、いわゆる「踏み絵」に類するものであったから、これが控訴人らの信教の自由の侵害に当たることは明らかである。

(5) 不法行為における違法性の判断は、侵害行為の態様と、被侵害利益の種類との相関関係によるというのが通説である。本件においてこれをみるに、被控訴人の本件行為は、憲法に故意に違反して公然と行われたものであり、その侵害の及ぶ範囲は日本全国に及び、その不法性は最大規模のものである。そうすると、仮に控訴人らの被侵害利益が未だ充分強固なものでないと評価されるとしても、このように侵害行為に巨大な規範違反がある場合には、相関関係説からは違法性が肯認されるべきである。

(6) 主権者である法的地位の侵害

本件即位の礼及び大嘗祭においては、天皇の即位に名をかりて天皇に対し、象徴天皇の域を超え、国民を超越し、国民に君臨する性格を付与し、国民に対しては、かかる存在としての天皇に対し、敬意を表することが儀式の形式で強制された。すなわち、憲法の国民主権原理に反する即位の礼及び大嘗祭に、国民の代表である三権の長が出席を義務づけられたが、これは控訴人らを含む国民全体が出席を義務づけられたのと同視できる。そして、控訴人らは主権者としての法的地位の侵害を受け、人格的尊厳を傷つけられたのである。

二  国費支出禁止請求及び違憲確認請求の適法性についての控訴人の主張の付加

1  (主観訴訟であること等について)

本件国費支出禁止請求及び違憲確認請求は、被控訴人がした本件諸儀式・行事の国費支出によって、控訴人らの思想・良心の自由、信教の自由、納税者基本権等の基本的人権が侵害されたとし、その損害の救済を求めるものである。即ち、具体的に侵害された権利の救済を裁判所に求めるものであるから、客観訴訟ではなく主観訴訟であり、法律上の争訟に該当する。したがって、右違憲確認請求は、抽象的憲法判断を求めているのではなく、具体的訴訟に付随して憲法判断を求めているのである。

2  (確認の利益について)

一般に、国の行為によって個々の国民の憲法上の権利が侵害され、これによって財産的あるいは精神的な損害が生じたときは、その損害を賠償することによって救済が図られるべきである。しかし、国の在り方の根本に係わるような法秩序の蹂躙があった場合には、単に損害の賠償だけでは足りず、破壊された法秩序の回復を図らなければ救済が図れない。更に、その権利侵害がなお継続している場合には、将来にわたって紛争の根本的解決が図られなければならない。

そうすると、このような場合、侵害行為の違憲性を公権的に確認することが、法秩序の回復をもたらし、当該紛争の根本的な解決を図るために有効であるから、違憲確認の利益があるというべきである。

本件の場合、本件諸儀式・行事の国費支出は既に終了しているが、これによって控訴人らの憲法上の権利が侵害されたという違憲状態は残存し、なお紛争は継続しているというべきである。即ち、控訴人らは、本件行為によって、特定の宗教観念ないし神話的イデオロギーを押しつけられ、その思想や信仰の保持、実践に圧迫、干渉を受けたものであり、本件行為の意味付けそのものが国自身の手によって否定されない限り、控訴人らの権利、自由の侵害状態はなお継続しているのである。したがって、今なお紛争の終局的な解決が求められており、そのためには被控訴人の本件行為の違憲性を確認するのが最も直接的且つ有効であり、本件違憲確認請求は確認の利益を具備するものである。

なお、本件行為の違憲確認請求は過去の法律関係についての確認請求であるが、一般に、それが当事者間の権利または法律関係についての現在の危険ないし不安を除去するために直接的かつ抜本的な紛争解決手段として最も有効且つ適切である場合には、過去の法律関係についても確認の利益があるというべきである。そして、被控訴人の本件行為は、今なお控訴人らの権利を侵害し続けているのであるから、本件違憲確認請求に確認の利益があることは明らかである。

3  (当事者適格)

本件請求は、控訴人らの主観的権利の侵害の回復を求めているのであるから、控訴人らには当然原告適格が認められる。また、本件行為は特定の行政庁がしたのではなく、被控訴人が一体となってしたものであるから、侵害行為の主体である被控訴人国に被告適格があることも明らかである。

第三証拠〈省略〉

理由

一  国費支出差止請求について

本件口頭弁論終結時までに本件諸儀式・行事の執行のための国費支出が終了したことは弁論の全趣旨によって明らかであって、控訴人らも右事実自体を争う意思はないものと認められる。

そして、右国費支出が終了している以上、その差止を求める控訴人らの請求は実現不可能な給付を求めるものであるから、不適法として却下すべきである。

二  違憲確認請求について

控訴人らは、被控訴人の本件行為によって、控訴人らの思想・良心の自由、信教の自由、納税者基本権が侵害されたことに対する救済として、本件行為が違憲であることの確認を求めるというのであるが、民事訴訟(行政訴訟も含む)は現在の法律上の紛争の解決、調整をはかるものであるから、現在の権利または法律関係の存否を問うのが直接的且つ効果的であって、その前提にすぎない過去の事実や法律関係の存否を問題にするのは、原則として確認の利益がないというべきである。

もっとも、これには法律で例外が定められている(民事訴訟法二二五条、商法二五二条、人事訴訟手続法二条、二四条、行政事件訴訟法三条四項等)外、過去の基本的な法律関係を確定することが現に存する紛争の直接かつ抜本的な解決のため最も適切かつ必要と考えられる場合あるいは現在の地位を保護する手段として、過去の事実または法律関係の存否を確認すること以外に有効、適切な手段が見あたらないとき等には、過去の事実や法律関係の存否の確認請求といえど確認の利益が肯認できると解せられる。

控訴人らは、控訴人らの憲法上の権利が侵害されたという違憲状態が本件行為の後も残存し、なお紛争は継続しているから、紛争の終局的解決のためには、本件行為の違憲性を確認するのが最も有効且つ適切である旨主張するが、侵害行為たる本件行為は既に終了しているのであるから、控訴人らが言わんとするところは、これによって控訴人らが受けた精神的苦痛がなお残存しているとの趣旨であると解される(控訴人らが言わんとするところが、本件行為後も、被控訴人の本件行為に力を得た団体や個人の言動によって控訴人らの思想・良心の自由や信教の自由が侵害されているというのであれば、その個別の侵害行為を問題にすべきものである)。そうであれば、その苦痛は、損害賠償請求等の現在の権利または法律関係に関する請求によって慰藉を図るのが有効、適切であり、これに加えて紛争の直接かつ抜本的な解決のために本件行為の違憲性を確認することが必要であるとは解し難いし、現在の控訴人らの地位を保護する手段として、本件行為の違憲性を確認すること以外に有効、適切な手段が見当たらないともいえない。

よって、本件違憲確認請求は確認の利益を欠くから、いわゆる納税者基本権なる権利を現行法上認めうるか等のその余の争点について検討するまでもなく、不適法として却下を免れない。

三  損害賠償請求について

1  政教分離規定の解釈について

日本国憲法においては、明治維新以後国家と神道とが密接に結びつき、種々の弊害を生じたことに鑑み、新たに無条件に信教の自由を保障するとともに、その保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至ったのであるが、元来政教分離規定は、いわゆる制度的保障であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由を確保しようとするものであると解せられる(最高裁大法廷昭和五二年七月一三日判決・民集三一巻四号五三三頁、最高裁大法廷昭和六三年六月一日判決・民集四二巻五号二七七頁参照)。

したがって、制度的保障規定に反する国の行為が私人に対する関係で直ちに違法と評価されるものではないから、控訴人らの主張にかかる人権規定説その一及びその二はいずれも採用できない。国の行為が私人に対する関係で違法であるか否かは、当該行為が憲法二〇条一項前段、二項、一九条で保障された信教の自由、思想・良心の自由を侵害したか否かで決せられるべきものである。この点に関し、控訴人らは、政教分離規定に違反する国家の行為は、特段の事情のない限り、特定の思想、宗教ないし宗教一般に対する援助、助長、促進あるいは圧迫、干渉になり、国民の思想、良心及び信教の自由の侵害となることが推定されるべきであって、政教分離規定は、右の趣旨の憲法上の推定規定と解すべきである旨主張する。なるほど、前記の政教分離規定が設けられた趣旨に鑑みれば、私人に対する違法性の判断に当たって、政教分離規定に違反するか否かが考慮されるべき要素にはなると解せられるが、これに止まらず、政教分離規定を法律上の推定規定とまで解すべき法律上の根拠はないし、政教分離規定に違反する国家の行為が国民の思想、良心及び信教の自由を侵害すると事実上推定すべき経験則が存在するとも解し難いから、控訴人らの右主張は採用できない。

2  思想・良心の自由、信教の自由の侵害の有無について

(一)  成立に争いのない甲第八、第一五、第一六、第一九号証、弁論の全趣旨によって真正に成立したと認められる甲第一号証の一、二、第二ないし第四号証、第五号証の一、二、第六、第七、第九号証、第一〇号証の一、二、第一一ないし第一三号証、第一四号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 被控訴人は、平成元年一二月二一日「即位の礼の挙行について」の政府見解を取りまとめた。その大要は次のとおりである。

ア 国事行為たる「即位の礼」で、「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」を行うのが相当である。

イ 大嘗祭は、収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穰などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穰などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定できず、その態様においても国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難である。

ウ 大嘗祭は皇位が世襲であることに伴う一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能とする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。

(2) 被控訴人は、平成二年一月一九日、「即位の礼委員会」(委員長・海部首相)において、国事行為たる即位の礼として「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」を同年一一月一二日に実施することを決定するとともに、「大礼委員会」(委員長・藤森宮内庁長官)において、公的な皇室行事として大嘗祭を同月二二、二三日にわたって挙行すること、これに伴う諸儀式を原判決添付別表記載のとおり行うことを正式に決定し、その後これらを予定どおり実施した。その主な諸儀式・行事の具体的な内容は次のとおりであり(括弧内は実施日と場所である)、即位の礼及び大嘗祭の開催場所が京都から東京になったこと、「即位礼当日紫宸殿の儀」が「即位礼正殿の儀」になったこと、「即位礼正殿の儀」において内閣総理大臣が万歳をする位置が、天皇の位置より低い庭上であったのが、天皇と同じ殿上になったこと、剣、璽(まが玉)とともに御璽及び国璽が用いられたこと等を除き、これらの諸儀式・行事は、明治憲法下の皇室令たる旧登極令及び同附式にのっとって行われた。

なお、これらに要した国費は、即位の礼関係で金三三億八五〇〇万円、大嘗祭関係で宮廷費から金二五億六八〇〇万円、その他を合わせ、警備関係の費用を除いても総額約七〇億円にのぼった。

ア 賢所に期日奉告の儀(同年一月二三日、以下特に断らない限りは平成二年である、賢所)

賢所(三種の神器の一である鏡を祀っている殿舎、皇霊殿及び神殿とともに宮中三殿と呼ばれる)に天皇が即位礼及び大嘗祭を行う期日を奉告する儀式である。

イ 皇霊殿神殿に期日奉告の儀(同日、皇霊殿、神殿)

皇霊殿(歴代天皇を祀っている殿舎)及び神殿(天神地祇を祀っている殿舎)に天皇が即位礼及び大嘗祭を行う期日を奉告する儀式である。

ウ 神宮神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀(同日、宮殿)

伊勢神宮並びに神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に即位礼及び大嘗祭を行う期日を奉告し、幣物を供えるために天皇が勅使を派遣する儀式である。

エ 神宮に奉幣の儀(同月二五日、伊勢神宮)

伊勢神宮に即位礼及び大嘗祭を行う期日を勅使が奉告し、幣物を供える儀式である。

オ 神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に奉幣の儀(同日、各山陵)

神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に即位礼及び大嘗祭を行う期日を勅使が奉告し、幣物を供える儀式である。

カ 斎田点定の儀(二月三日、神殿)

悠紀及び主基の両地方を定めるための儀式である。悠紀地方は秋田県と、主基地方は大分県と定められた。

キ 大嘗宮地鎮祭(八月二日、皇居東御苑)

大嘗宮の地鎮祭である。延べ三二〇〇平方メートルの敷地に悠紀殿、主基殿外三七棟の木造建築物が建てられた。工費は、本体建築に金九億円、警備費を含めた総額は金一四億五〇〇〇万円であった。

ク 斎田抜穂の儀(九月二八日、一〇月一〇日、悠紀田、主基田)

斎田で新穀の収穫を行うための儀式である。悠紀田では九月二八日、主基田では一〇月一〇日に行われた。

ケ 悠紀主基両地方新穀供納(一〇月二五日、皇居)

悠紀田、主基田で収穫された新米を皇居に納める儀式である。

コ 即位礼当日賢所大前の儀(一一月一二日、賢所)

即位の礼の当日、賢所に天皇が即位の礼を行うことを奉告する儀式である。三権の長等約六〇名が参列した。

サ 即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀(同日、皇霊殿、神殿)

即位の礼の当日、皇霊殿及び神殿に天皇が即位の礼を行うことを奉告する儀式である。三権の長等約六〇名が参列した。

シ 即位礼正殿の儀(同日、宮殿)

天皇が即位を公に宣明するとともに、その即位を内外の代表が祝う儀式である。その詳細は次のとおりであった。

玉石が敷き詰められた正殿前の中庭に、左右に萬歳旛と呼ばれる幟を立ち並べ、宮内庁職員が束帯や鎧の古装束を着けた「威儀者」に扮し、太刀、弓、盾、矛、雅楽器を持って控えた。正殿松の間には、向かって左に高御座(三層の黒塗り継壇の上に八角形の黒塗り屋形を据え、大鳳、小鳳、鏡などで装飾した天皇の玉座。天孫降臨の神話を具象化したものといわれる。全体の高さ約六メートル、床の高さ約一・三メートル、大正年間に造られ、昭和天皇の即位礼当日紫宸殿の儀において用いられた)、右に御帳台(皇后の御座。高御座と同じ形だが、装飾は略され、ひとまわり小さい)が並べられた。内外の参列者約二二〇〇人が席について待つうち、三権の長が正殿松の間に登場、続いて束帯姿の男子皇族が高御座の前に並び、一二単姿の女子皇族が御帳台の前に並んだ。そして、黄色みを帯びた茶色の黄櫨染御袍という束帯に身を包んだ天皇が前を「三種の神器」の一である剣、後ろを同じく璽に挟まれて登場、続いて一二単姿の皇后が登場した。天皇は高御座に、皇后は御帳台に、それぞれ奥の階段を上って入り、内部に姿を隠した。剣、璽が高御座内の台上に置かれ、併せて御璽・国璽も置かれた。鉦の音を合図に高御座と御帳台のとばりが開かれ、天皇は高御座内の椅子から、皇后は御帳台の椅子からそれぞれ立ち上がった。海部首相が前に進み出た後、天皇は「お言葉」を発し、即位を宣言するとともに、「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓」った。その後海部首相は、お祝いの挨拶である「寿詞」を読み上げ、天皇の即位を祝うとともに、「国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、世界に開かれ、活力に満ち、文化の薫り豊かな日本の建設と世界の平和、人類福祉の増進とを目指して最善の努力を尽くすこと」を誓い、続いて四歩下がって「御即位を祝して天皇陛下万歳」と発声、先導し、参列者が万歳を三唱した。これに合わせて北の丸公園に陣取った陸上自衛隊が礼砲二一発を撃ち鳴らした。

ス 祝賀御列の儀(同日、宮殿から赤坂御所)

広く国民に即位を披露し、祝福を受けるためのパレードである。

セ 饗宴の儀(同日から一一月一五日まで、宮殿)

天皇が即位を披露し、祝福を受けるための饗宴である。

ソ 神宮に勅使発遣の儀(一一月一六日、宮殿)

伊勢神宮に大嘗祭を行うことを奉告し、幣物を供えるために天皇が勅使を派遣する儀式である。

タ 大嘗祭前一日鎮魂の儀(一一月二一日、皇居)

大嘗祭の前日、すべての行事が滞りなく無事に行われるよう天皇始め関係諸員の安泰を祈念する儀式である。

チ 大嘗祭当日神宮に奉幣の儀(一一月二二日、伊勢神宮)

大嘗祭の当日、伊勢神宮に大嘗祭を行うことを勅使が奉告し、幣物を供える儀式である。

ツ 大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀(同日、賢所)

大嘗祭の当日、賢所に大嘗祭を行うことを奉告し、御饌を供える儀式である。

テ 大嘗祭当日皇霊殿神殿に奉告の儀(皇霊殿、神殿)

大嘗祭の当日、天皇が皇霊殿及び神殿に大嘗祭を行うことを奉告し、幣物を供える儀式である。

ト 大嘗宮の儀(悠紀殿供饌の儀、主基殿供饌の儀)(同日及び同月二三日、皇居東御苑)

これは一一月二二日夕刻から翌二三日未明にかけて、皇居東御苑に設けられた大嘗宮で行われた。その核心である内陣での儀式は非公開であり、判明しない。なお、前記政府見解によれば、天皇が即位の後、初めて大嘗宮において新穀を皇祖及び天神地祇に供え、自らも食して、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穰を感謝するとともに、国家国民のために安寧と五穀豊穰などを祈念する儀式であるとされている。三権の長等約七〇〇名が参列した。

ナ 大饗の儀(一一月二四日、二五日、宮殿)

天皇が参列者を招いてもてなす儀式である。

ニ 即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀(一一月二七日、二八日、伊勢神宮)

即位礼及び大嘗祭の後、伊勢神宮に天皇が拝礼する儀式である。

ヌ 即位礼及び大嘗祭後神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に親謁の儀(一二月二日ないし五日、各山陵)

即位礼及び大嘗祭の後、神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に天皇が拝礼する儀式である。

ネ 即位礼及び大嘗祭後賢所に親謁の儀(一二月六日、賢所)

即位礼及び大嘗祭の後、賢所に天皇が拝礼する儀式である。

ノ 即位礼及び大嘗祭後皇霊殿神殿に親謁の儀(同日、皇霊殿、神殿)

即位礼及び大嘗祭の後、皇霊殿及び神殿に天皇が拝礼する儀式である。

ハ 即位礼及び大嘗祭後賢所御神楽の儀(一二月六日、賢所)

即位礼及び大嘗祭の後、賢所に神楽を奏する儀式である。

(3) 被控訴人は、即位の礼を奉祝する趣旨で次のことをした。

ア 即位の礼当日の休日化(平成二年六月一日法律第二四号)

イ 平成二年一〇月一九日の閣議において、即位礼正殿の儀当日には各省庁において国旗を掲揚するとともに、地方公共団体及びそれ以外の官署、学校、会社、その他一般においても国旗掲揚の協力方を要望することが決定され、これを受けて文部事務次官は、同日、各国立学校長、各都道府県教育委員会等に対し、右閣議決定の趣旨に沿う取り計らいを依頼するとともに、都道府県教育委員会に対しては管下の教育委員会に対する周知方を要請する旨の通知を発し、また文部省初等中等教育局長は、同日、各都道府県教育委員会、各都道府県知事等に対し、各学校においては、あらかじめ適宜な方法により国民こぞって祝意を表することの意義を児童生徒に理解させるようにすることが適当と思われるとして、管下の学校において配慮方を要請するとともに、都道府県教育委員会にあっては管下の教育委員会に対する周知方を要請する旨の通知を発した。

ウ 恩赦の実施

エ 奉祝記念事業の実施(即位記念の十万円金貨と五百円白銅貨の発行、天皇即位記念切手の発行等)

(二)  憲法が一九条で保障している思想・良心の自由、二〇条一項前段で保障している信教の自由の一内容としての信仰の自由は、いずれも人の内心の問題であるところ、一般論としては、国家権力が人を表面的に服従させることはできても、その内心までを統制することは不可能である。したがって、憲法がこれらの条項によって国家に対して命じているのは、人が思想、良心、信仰(以下「思想等」という)を形成し、これを維持することについて、これを圧迫し、あるいはこれに干渉する等、不当な影響を与える行為をしてはならないとの趣旨であると解せられ、具体的に禁止している行為としては、人がある思想等を有することまたは有しないことを理由とする不利益取扱やいかなる思想等を有しているかを強制的に告白させること等があげられる。

ところで、国家がする政策決定及びその実施は、人の思想等と関連を持つ場合があることを避けられず、国家がしたある政策決定及びその実施がある個人の思想等と相容れない場合に、その個人が不快感、焦燥感、憤り等の感情を抱き、時の社会状況如何によっては、自らの思想等の維持について圧迫感を感じることもあり得るが、これは価値観の多様化した現代社会においては不可避の事象であり、民主主義のプロセスにおいて解決すべき事柄であるというべきである(この点で、信仰の自由を異別に解すべき理由はない)から、国家の右のような政策決定及びその実施が憲法一九条、二〇条一項前段によって一般的に禁止されているとは解せられず、右禁止の対象に該当するためには、その政策が個人の思想等の形成、維持に具体的且つ直接に影響を与えるものであることを必要とすると解すべきである。言い換えれば、国家の政策決定及びその実施が人の思想・良心の自由、信仰の自由の侵害行為と評価されるためには、右政策が個人の思想等の形成、維持に、抽象的、間接的ではなく、具体的且つ直接に影響を与えるものであることを要すると解せられるのである。

(三)  そこで、本件諸儀式・行事の国費による執行が右の禁止に該当し、控訴人らの思想・良心の自由、信教の自由を侵害したと評価しうるか否かについて検討する。

(1) 大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白であり、これを公的な皇室行事として宮廷費をもって執行したことは、前記最高裁大法廷昭和五二年七月一三日判決が示したいわゆる目的効果基準に照らしても、少なくとも国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概には否定できない。

次に、即位の礼については、一般的にはこれを国事行為として実施することは、法令上の根拠に基づくものと解せられる(憲法七条一〇号、皇室典範二四条)。しかしながら、現実に実施された本件即位礼正殿の儀(即位の礼の諸儀式・行事のうち、本件諸儀式・行事に含まれるのは、即位礼正殿の儀のみである)は、旧登極令及び同附式を概ね踏襲しており、剣、璽とともに御璽、国璽が置かれたこと、海部首相が正殿上で万歳三唱をしたこと等、旧登極令及び同附式よりも宗教的な要素を薄め、憲法の国民主権原則の趣旨に沿わせるための工夫が一部なされたが、なお、神道儀式である大嘗祭諸儀式・行事と関連づけて行われたこと、天孫降臨の神話を具象化したものといわれる高御座や剣、璽を使用したこと等、宗教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できないし、天皇が主権者の代表である海部首相を見下ろす位置で「お言葉」を発したこと、同首相が天皇を仰ぎ見る位置で「寿詞」を読み上げたこと等、国民を主権者とする現憲法の趣旨に相応しくないと思われる点がなお存在することも否定できない。

(2) しかしながら、被控訴人の本件行為それ自体は、直接的には控訴人らに向けられたものではなく(国民に対する国教の樹立、宣布であるとの控訴人らの主張には左袒できないし、三権の長が即位の礼や大嘗宮の儀等へ公人として参列したからといって、全国民が間接的に参列を強いられたと解することも論理の飛躍がある)、控訴人らに何らの具体的な義務や負担を課すものでもなく、本件行為が控訴人らの思想等の形成、維持に具体的且つ直接に影響を与えたとは解せられない。

なお被控訴人は、前判示のように、国民の中に天皇即位を奉祝する雰囲気を醸成するための諸施策を講じた上、即位礼正殿の儀の当日には官公署のみならず国民一般に対しても国旗掲揚を要望する等の奉祝要請をして、国民一般に対する直接的な働きかけをしたが、被控訴人が要請したのは、「即位礼正殿の儀」に対する奉祝ではなく、天皇の「即位」そのものについての奉祝であるところ、天皇の「即位」即ち皇位の継承自体は宗教とは無関係であるから、右奉祝要請は控訴人らの信仰の自由に対する侵害には当たらない。もっとも、天皇の即位を祝うかどうか、これに祝意を表すかどうかは個人の思想、表現の自由に属する事柄であって、個人が祝意を表すことを国家が事実上にしろ強制すれば、私人の思想、表現の自由の侵害になるし、とりわけ我が国においては天皇や天皇制度に対する国民の思いは様々なものがあるから、例え「要望」との表現であっても、国家がこの種の要請をすることには慎重でなければならないと解せられるが、本件における右奉祝要請が、天皇の即位に対する祝意を表すことを控訴人らに事実上強制したものとまでは評価できないから、控訴人らの思想、表現の自由の侵害に当たるとまではいえない。

その他、控訴人らが権利を侵害されたとして具体的に主張するところのものも、被控訴人の本件行為をも一つの原因として醸成された当時の社会的雰囲気等によって控訴人らが受けた、本件行為との関係では間接的な影響をいうにすぎないと解せられる。

そうすると、被控訴人の本件行為が、控訴人らの思想・良心の自由、信教の自由を侵害したと評価することはできない。

(四)  更に控訴人らは、不法行為における違法性の判断における相関関係説の立場から本件行為の違法性が肯認されるべきである旨主張するが、右の判示したとおり、そもそも被控訴人の本件行為が控訴人らに対する権利侵害行為ということができないから、相関関係説にたっても、これらの違法性を肯認するには至らない。

(五)  また控訴人らは、本件行為によって、主権者としての法的地位を侵害された旨主張するが、日本国憲法において、主権者としての地位は総体としての国民に与えられているものであって、個々の国民が「主権」なる私法上の権利なり法的利益を有しているものではないから、右主張も採用できない。

3  以上の次第で、被控訴人の本件行為は、控訴人らの権利を侵害する違法なものということができないから、控訴人らの本件損害賠償請求はその余について検討するまでもなく失当である。

四  結論

以上のとおりであって、控訴人らの国費支出差止請求、違憲確認請求はいずれも不適法として却下すべきであり、損害賠償請求はいずれも失当として棄却すべきである。

よって、これと同旨の原判決は相当であって、本件各控訴はいずれも理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山中紀行 武田多喜子 井戸謙一)

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